2025年9月14日(日)午前9時~午後1時
向島用水親水路・水車小屋周辺、小雨決行
2024年9月15日(日)午前11時~午後6時
向島用水親水路・水車小屋周辺、小雨決行
2023年9月17日(日)午前11時~午後6時
向島用水親水路・水車小屋周辺、小雨決行
★今回初めて、イベント委員会を中心にボランティアだけで運営しました!
・・・自治会の組長、四役は自由参加で、負担軽減に貢献。
★中学生から90歳を超える方まで、総勢90人の方々がサポーターとして協力してくださいました!
・・・ご協力ありがとうございました。
★2021年に上原会長(当時)が中心になって設置した新防災倉庫が、準備作業の軽減にも大きく貢献!
(毎年三沢倉庫からトラックで運搬していた防災兼用のまつり資材を、新倉庫に移動。)
■まつりならではのゲームを楽しもう!
南新井まつりで毎回子ども達に大人気のくじ・わなげ、スーパーボールすくい、ヨーヨーつりを、今年もやります。大人の方も、子どもの頃に戻って楽しんで!
■南新井まつり名物「焼き鳥・焼きそば」
毎年、売り切れ必至の「焼き鳥・焼きそば」です。美味しさだけでなく、焼き手のチームワークも見ていて楽しくなります。
■サポーターの要望で「わたがし」復活!
今年はいくつかの模擬店は中止となります。「わたがし」も中止の予定でしたが、サポーターの皆さんから「ぜひやりたい!」との強い要望があり出店となりました。
■「ようこそ券」をお配りします。
6月の回覧で申込みいただいた小学生以下の方に、ゲームが無料で楽しめる「ようこそ券」をお配りします。各ゲームとも賞品の数に限りがありますので、お早めにお越しいただき、ご利用ください。
■和太鼓サークル「鼓っ子連」が来るぞ!
日本のまつりと言えば、和太鼓が欠かせません。「鼓っ子連」の演奏は14:30~15:00です。
「南新井まつり」の発端は、子供みこしをかつぎ終わった子供の一人が、「あ〜腹減った。カレーかなにか食べたいよ」と言ったのを聞いたある自治会会員が、これは何とかならないものかと問題提起したのが始まりです。
人には誰にでも「ふるさと」があります。特に子供の頃遊んだ「ふるさと」は忘れ難いものです。
縁があって大人達は南新井に住むようになりました。子供達にとってはこの南新井が「ふるさと」になります。そこで「子供達にふるさとの想い出を作ろう(残そう)」の合言葉のもと、昭和58年(1983年)有志で始めたのが「南新井まつり」の起源と趣旨になります。
その有志の集まりの名は南新井祭礼有志会(略称あさゆ会)といいました。
当初はあさゆ会、子供会(特にお母さん方)それに自治会会員の方にもお手伝いいただいて始まりました。
3年目からは自治会主導(自治会の活動のひとつ)のもと実行委員会が組織され、自治会、子供会、喜楽会(老人会)、あさゆ会が協力して実行されるようになりました。
あさゆ会はその後発展的に解消して、名前も南新会と改め現在に至っています。南新会のような地域に貢献する集まりは大変めずらしいと聞いています。
南新井まつりの開催場所も地主さんの空き地、モノレール工事中の敷地など転々として苦労しながらも「子供達にふるさとの想い出をつくろう」を心に誓ってがんばって開催してきました。近年市長のご理解を得で、水車小屋周辺での開催ができるようになり、定着してまいりました。
会場の設営や模擬店、その他すべてが会員の手作りです。
会員の心のこもった、そして格安な価格等から、子供達に喜ばれ、他の地域の子供達もたくさんくるようになりました(他地区に在住する孫も含む)。同時に会員間の親睦、ふれあいにもなっています。
「南新井まつり」も年々賑やかになり、南新井地区の楽しみな行事となってきました。これも会員の皆様のご協力のたまものです。
南新井地区には公園も広場もありません。親水路遊歩道、水車小屋がある程度です。
場所は狭いですが、会員の皆様の広い心でご理解いただき、これからも「南新井まつり」が継続して開催され、地域の親睦、発展のためお力をお貸しくださることを念願しております。
(記:B-2 生沼通男氏)
会員手作りのポスター
会員手作りの模擬店
みんな楽しそう!
「ふるさと」の祭りはいいね
子供みこし
子供みこし
「鼓っ子連」の参加によるたいこ演奏
「灯ろう」
喜楽会紙手紙教室作
○南新井まつりは地域住民の親睦を目的としており、石明神社の例大祭とは直接関係ない形で運営されているが、子どもたちに祭りの雰囲気を楽しんでもらうために、石明神社から「子どもみこし」を借りて、まつり当日の午前中に地域内を巡っている。また、石明神社の大人みこしの立ち寄りもお願いしている。南新井まつりの日程が石明神社の例大祭にあわせて設定されるのは、このような事情による。
※石明神社
〇浅川の万願寺側、新井橋とふれあい橋の間にある神社で、古くは堰大明神と称され、たびたび洪水に見舞われた旧新井村、石田村の鎮守として信仰されてきた。